
2022年11月11日に公開された新海誠監督の新作。
本作は2011年3月11日の東日本大震災をテーマとしており、公開日もそれを意識したのかもしれません。
非常にメッセージ性の強い作品であり、今までの作品と描き方も大きく変わっています。
単純な青春映画にとどまらず老若男女問わず楽しめる傑作でした。
今回はそんな「すずめの戸締り」のレビュー&考察をしていこうと思います。
鈴芽と環のどちらに感情移入するかで歳がバレる説
今までの作品と違い、主人公の鈴芽と草太を日本の各地を旅します。
- 宮崎
- 愛媛
- 兵庫
- 東京
ヒッチハイクをしながら旅をし、現地の人々に助けてもらう。
そのすべてが鈴芽にとって今後の人生の宝物になることでしょう。
ただ、ここは人によっては叔母の環さんに感情移入するかもしれません。かくいう僕も環さん寄りで途中までは観ていました。
- あまりにも無鉄砲な家出
- 知らない人に平気でついていく無謀さ
- 育ての親の言うことを全く聞かない身勝手さ
いくらなんでも…と思ったことをここに白状します。
でも、それは子どもの鈴芽も同じなんですよね。一方的な思いを重荷に感じる子どもは現代でもいることでしょう。
だからこそ鈴芽と環さんの大ゲンカは心に来るものがありました。ここが本作のゴールの1つだったと言っても過言ではありません。
いったい自分はどちらの立場で映画を観ていたか。それを知ることに大きな意味はあるでしょう。
躊躇なく冒険できる若者はうらやましいなあ。
クライマックスがあっさりだった理由とは?
演出自体は派手ですが、ラストの盛り上がりは過去の2作品よりは抑え目。
そもそもクライマックスが思った以上に短かったんですよね。
- 「君の名は」は、変電所を爆破してから隕石墜落までをしっかり描いていましたし、
- 「天気の子」は、帆高の逃走劇からの盛り上がりがずっと続いていました。
対して、すずめの戸締りは最後の「後ろ戸」を開けてからが割とあっけなかった印象を受けました。
劇的な何かがあるわけでなく、草太を救出してからもあっさり目で終わります。
なので全身鳥肌な展開はありませんでしたね。
どうしてこういう作りになったのかの考察ですが、映画で監督が言っている「週末後の映画である、という気分で作りたい」がすべてだと思っています。
要するに「君の名は」で言う隕石墜落後、「天気の子」で言う東京水没後の後日談が本作なんですよ。
2011年に実際に起こった東北大震災。その被害にあった鈴芽のその後の人生。
どんな傷を負い、どうやって前を向いたのか。それを描いたのではないかなと。
すでにクライマックスが終わったあとなんですからあっさりとして当然です。
鈴芽の想いの終着点。それを描くためだけの映画と言えるかもしれません。
ダイジン(猫)の行動の意味
鈴芽が封印を解いたことで自由になったダイジン。
盲目的に鈴芽は自分を愛していると思っています。だからこそ彼女を取ろうとした草太を敵対視し、ミミズを封印する役目を押し付けたのでしょう。
その後の逃避行は鈴芽も言っているように各地の後ろ戸の案内です。もっと直接的に言えばよかったのにと思わないでもない。
一見、意味不明ですが行動原理は非常に明快です。
邪魔者の草太を封印し、鈴芽と一緒になりたい。それだけがダイジンの意思でした。
だからこそ鈴芽に嫌われたとき、力が一気に抜けたというわけです。
まあ、事故とはいえ封印を解いてくれたのだから誤解しても仕方ない気はします。
なぜ鈴芽は常世に行くことができたのか
物語のラストは鈴芽の故郷。東日本大震災の被災地が舞台となります。
すべてが失われた廃墟。そこに残る自宅の扉。
地震の現況ミミズが生息する常世の入口にもなっていました。
永久に変わらない神域。死後の世界でもあり、黄泉もそこにあるとされる。(参照:wikipedia)
常世は死後の世界。それなのに鈴芽はなぜ行けたのか。
これは鈴芽が大震災という死を身近に体験したせいでしょう。
ただし、体験だけでは不足。それに関わる思い出の場所からのみ行けたのです。
だからこそ他の後ろ戸では常世を見ることしかできなかったのでしょう。
もしかしたらミミズ封印のための2匹の猫がいたのもあるかもしれません。
そうでないと他の人も常世に簡単に迷い込みます。それだけの災害だったのですから。
最後に
今までと一風変わったすずめの戸締り。
実際に起こった震災をテーマにしたこともあって、メッセージ性の高い物語となっています。
コメディも面白く明るさと切なさが入り混じった傑作。
親子連れで見るとより良い感動を得られることでしょう。